岡山藩主の内命で新知行三百石を賜り士分に取り立てられ
どんな伝承か
幕末の万葉調歌人平賀元義は、神官中山縫殿之助の歌道の門弟で、両者は親密であった。慶応元年十二月、縫殿之助方に滞在していた元義は、上道郡目黒村や長岡村の門人を訪ねる道すがら、長利の村はずれで急に卒中を起こして路上に倒れ、六十六年の生涯を閉じた。折しも元義は、岡山藩主池田茂政侯の内命により先祖平賀七蔵の名跡として士分に取り立てられ、新知行三百石を賜ることが決まり、さらに黒住教顧問への就任も定まって、多年の困窮がまさに報われようとしていた矢先であった。遺体は縫殿之助ら門人により大多羅の字大師にある中山家の墓地に葬られた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
近代日本霊異実録(笠井鎮夫・霊異・神憑り実録・昭和)