V 「生神金光大神」の姿と心
どんな伝承か
明治七年の前半、笠井吉夫は信仰の先輩片岡次郎四郎に連れられ、備中大谷の大本社に金光教祖川手文治郎を初めて訪ねた。時に教祖六十一歳、片岡三十四歳、吉夫十七歳。三人が対座したのは、二十年前に古川治郎が神憑りしたあの六畳の間であった。教祖は麻の白衣に木綿の黒紋付を羽織った着流しで、家業を廃して十六年ほとんど戸外に出ないというのに顔の色つやがよく、眉が長かった。教祖は方位や日柄や祟りという金神の迷信を根も葉もないものと説き、氏子あっての神、神あっての氏子と語ったという。
原典より
笠井吉夫が信仰上の先輩片岡次郎四郎に連れられて初めて備中大谷の大本社に金光教祖川手文治郎(前述のとおり、明治元年から生神金光大神の神号をゆるされた)を訪れたのは明治七年前半期のことであった。—— 近代日本霊異実録(笠井鎮夫・霊異・神憑り実録・昭和) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
近代日本霊異実録(笠井鎮夫・霊異・神憑り実録・昭和)