VI 虚弱児頓死を免がる
どんな伝承か
笠井吉夫の『御神蔭記』に「鎮夫脳膜炎ニ罹ル」の一条がある。明治二十八年十二月生まれの三男鎮夫は、明治三十年七月十九日正午頃から発熱し、二時半頃には俗にいう「目を見付けて」ほとんど絶命しかけた。倉富の医師松岡を迎えると熱は四十一度あった。吉夫は公務で岡山に滞在中で、車夫熊蔵が走って知らせ、深夜に帰宅した。吉夫が天地金乃神に祈念し、母は束線香を点じて心願をこめ、翌朝は御洗米の紙を水に浸して胸に貼った。すると容体は快方に向かい、二十二日には平生どおりになったという。
原典より
中井の金子明神こと大森うめ女方の広前へ頻繁に集まる熱心な信者たちの中に、片岡次郎四郎のほか、父と同村福泊の難波なみという女があった。—— 近代日本霊異実録(笠井鎮夫・霊異・神憑り実録・昭和) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
近代日本霊異実録(笠井鎮夫・霊異・神憑り実録・昭和)