X 小野当以聞書抄
どんな伝承か
小野当以が恒原松太郎の老母から直接聞いて筆録した聞書による。明治四年の春二月十二日の夜、御神前から「今出雲国美保の崎沖合に難船をして居る大船あり、早く出でて明りを見せて遣れ」と命じられた松太郎は、母に蠟燭を点してもらい、裏の雨戸を開けて縁先に出て高く火を差し上げた。蠟燭が半ば尽きたところで吹き消し、船は美保の崎に入って助かったと告げた。その年の夏六月中頃、能登の船頭三人が大阪南堀江橘通り一丁目の恒原方を訪ね、天満宮の告げで火を見せてもらったと礼に来たという。
原典より
其の後明治十六年五月の初めがた、小野当以、上阪の節、橘通四丁目教会所に参り、在勤教師金築長之助氏と同道にて和泉屋事恒原卯兵ヱ氏を訪問しましたら、松太郎、夫婦共天満宮の御用の便利として形を御引揚になりて、最早幽冥の神となら…—— 近代日本霊異実録(笠井鎮夫・霊異・神憑り実録・昭和) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
近代日本霊異実録(笠井鎮夫・霊異・神憑り実録・昭和)