IV 金光教祖川手文治郎の「覚書」
どんな伝承か
安政二年、備中大谷の百姓川手文治郎は四十二歳の厄年に喉痺を患い、医師柚木隆項に九死に一生と診断された。四月二十九日の夜、表の間に身内が集まって寄祈祷が行われた。石鎚山の先達をつとめる義弟の古川治郎が御幣を持って神壇の前に坐ると、やがて顔が紅潮し人格が転換して、自ら「石鎚神」と名乗り「建築、移転につき、豹尾金神に無礼をいたしおる」と言い放った。舅の古川八百蔵が強く抗弁する中、隣室で祈念していた文治郎は思い当たるところがあり心中で詫びた。その瞬間、詰まっていた喉がおのずから開き、声が出たという。
原典より
安政二年(一八五五) 備中大谷の百姓川手文治郎は四十二歳を迎えた。—— 近代日本霊異実録(笠井鎮夫・霊異・神憑り実録・昭和) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
近代日本霊異実録(笠井鎮夫・霊異・神憑り実録・昭和)