人狐物語・満碁江翁の迷信打破
どんな伝承か
出雲国神門郡、今日の簸川郡の中野村に住んだ山根与右ヱ門源保祐、号を満碁江翁という老人が、天明六年十一月一日に「人狐物語」を著した。翁は「狐持ち始りの事」で、出雲の狐持ちの始まりは享保の初め頃、富家が小作を潰して恨まれ、その家の病人を狐憑きと称して災いをしかけたことにあると述べる。また狐持ちの名を得る家は慾深く憐まず施さず、富を鼻にかけて人を侮る者が多いと説いた。さらに「室狐の風説無実の事」では、狐が人家に住むというのは全くの虚談だと断じ、その名を得た者も心を改めて貧しきを恵み賤しきを憐めば、自然にその名は消滅すると論じている。
原典より
人狐一件書附 島根県所蔵隠岐の人狐 小脇清出雲民俗第十九号 石塚尊俊編人狐、犬神の実例迷信の地域的基礎 千葉徳爾---—— 憑きもの持ち迷信――その歴史的考察(改訂版)(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・昭和(改訂版)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
憑きもの持ち迷信――その歴史的考察(改訂版)(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・昭和(改訂版))
速水保孝『憑きもの持ち迷信―その歴史的考察』の改訂版。自ら狐持ちの家に生まれた著者が、つきもの持ち迷信による差別を内側から告発し、その歴史的基盤を考察する。序章で研究に志した動機・問題の核心・結婚に直面しての苦悩を語り、人権を脅かす実例として狐持ちにまつわる隔地心中、次々と破談になる三兄妹、隠岐の人狐解消決議、犬神が乳児を食ったと絶交、堆肥小屋に外道を飼うを挙げる。