上来原村の邪気持ち五人を追放
どんな伝承か
万延元年十一月、石見国浜田藩の上来原の庄屋が、村内の邪気持ち(狐持ちと同義語)を村から追放する退去命令を出してよいかを代官に伺い出た。村方一統から、邪気持ち一派の実太・政平・卯平・磯助・源蔵の五人を家族ごと立ち退かせたいとの申し出があったという。邪気持ち側は吉田様への再度の祈祷を願って猶予を求めたが、村方は前の祈祷に効き目がなかったとして待たなかった。上役は佐田十助・山本泰蔵を派遣して再吟味させ、許可が下りたものか、源蔵を除く実太ら四人は住み慣れた村を去り、空家は村人が火を放って焼き払った。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
憑きもの持ち迷信――その歴史的考察(改訂版)(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・昭和(改訂版))
速水保孝『憑きもの持ち迷信―その歴史的考察』の改訂版。自ら狐持ちの家に生まれた著者が、つきもの持ち迷信による差別を内側から告発し、その歴史的基盤を考察する。序章で研究に志した動機・問題の核心・結婚に直面しての苦悩を語り、人権を脅かす実例として狐持ちにまつわる隔地心中、次々と破談になる三兄妹、隠岐の人狐解消決議、犬神が乳児を食ったと絶交、堆肥小屋に外道を飼うを挙げる。