非憑きもの筋側の態度(阿波藩・万延元年の願書)
どんな伝承か
石見那賀郡雲城村の石田家所蔵文書に、同国上来原村内の実太・政平・卯平・磯助らを邪気の根源であるとして、その追放を願い出た口上覚が残る。七年前の寅年、当村保寧寺下人幸三郎の女房が病んだ際、大宮司山崎常陸を招いて加持祈祷したところ、同寺下人実太の女房しのから邪気が差し越したと口走った。村役人立会いの再度の加持でも、実太・政平方から邪気が連れ立って来ると口走り、村内の方々に障り、人を喰い殺し牛馬にも障ると告げた。村方一統は五人を家族ぐるみ立ち退かせてほしいと願い出、庄屋が万延元年申十一月に代官へ伺いを立てた。結果、四名は横田組・御城廻組・北仙道組へ立ち退かされた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本の憑きもの――俗信は今も生きている(石塚尊俊・石塚尊俊・民俗学・昭和(民俗調査))
民俗学者・石塚尊俊『日本の憑きもの―俗信は今も生きている』。日本各地の憑きもの俗信を実地調査と文献で体系化した研究の決定版。