その他の動物霊
どんな伝承か
愛知県南設楽郡のオトラ狐は、大正五年に早川孝太郎が雑誌『郷土研究』に「おとら狐の話」として取り上げ、次いで大正九年に柳田国男が炉辺叢書の一冊『おとら狐』として扱ったため、この方面では非常に有名になった。ただし家筋というものはなく、範囲も三河・遠江の一部に過ぎない。オトラ狐はもともと長篠城の鎮守の稲荷であったが、長篠合戦の折に櫓へ登って戦を見物していて流れ弾に当たり左の眼を傷つけ、その後また信州犀川の岸で昼寝をしていて対岸から狩人に狙撃され左の足を傷つけ、片目片足になったという。享保年間、古城跡に近い西組の者が伏見稲荷を勧請して共に祀ったが、なお憑くといわれた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本の憑きもの――俗信は今も生きている(石塚尊俊・石塚尊俊・民俗学・昭和(民俗調査))
民俗学者・石塚尊俊『日本の憑きもの―俗信は今も生きている』。日本各地の憑きもの俗信を実地調査と文献で体系化した研究の決定版。