憑きもの筋への縁切状(宝暦九年)
どんな伝承か
憑きもの筋とされる側には、ひた隠しにする者ばかりでなく、進んで自認する者もあった。出雲の平田市塩津町、元庄屋の和泉林市郎方には一つの写文書が伝わる。「縁切状」と題し、四年以前に権太郎に邪気が付き、またこのたび定六の女房に憑いたので、御山で祈祷が行われ吟味を経て、たびたびの白状と証拠により「私所持の狐に紛無御座候」と認めた。ゆえに自分の家内その他一族の者は、今後一家縁切りとされ出入りを許されず、子々孫々に至るまで義絶されることを承知する、という内容である。宝暦九年卯七月九日の日付で、外八十四人宛とあり、庄屋・年寄の奥書も付いていた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本の憑きもの――俗信は今も生きている(石塚尊俊・石塚尊俊・民俗学・昭和(民俗調査))
民俗学者・石塚尊俊『日本の憑きもの―俗信は今も生きている』。日本各地の憑きもの俗信を実地調査と文献で体系化した研究の決定版。