権左衛門の死と万蔵の村八分
どんな伝承か
隠岐宇賀村(現・西ノ島町宇賀)の万蔵の訴状によれば、女房の実家・平太夫の嫡子権左衛門が病んで死ぬと、その翌々日、願成寺・千福寺と宇野玄馬の二男亀三郎の三人が平太夫と宇野玄馬の使者と称して万蔵方を訪れ、『権左衛門が死んだのはお前方の外道(狐)の祟りに相違ない』として親戚関係を断絶すると申し渡した。万蔵が反発すると、両家は村方一統に前原屋(万蔵方)には狐がいる証拠が挙がったと口達した。浜寄合の後、牛三郎が村を代表して来て、万蔵の狐の仕業で村方にも被害が出ているとして村役職の辞任を迫り、万蔵はついに村八分にされてしまった。伯耆大山寺の仲介も実らず、甥幸十郎の女房も実家へ引き取られたという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・昭和(1953頃))
速水保孝『つきもの持ち迷信の歴史的考察―狐持ちの家に生れて』(柳田國男序)。自ら狐持ちの家に生まれた著者が、つきもの持ち迷信による差別・人権侵害を内側から告発し、その類別と歴史的背景を考察する。