徳田屋狐と呼ばれ縁を切られた家
どんな伝承か
万蔵の家の難儀は姉の病では終わらなかった。今度は妻が病み、流人の坊主観三に見てもらうと、屋敷に死霊がいるから若宮の小祠を建てよと言われ、そのとおりにした。ところが数年後に村の面屋喜兵衛が病むと、観三はその祠が元だと言い出し、噂が広がっていく。父の利平太は二度も京の吉田家へ上り、狐の祈禱と村内への触書をもらって帰った。それでも八年ほど前から「徳田屋狐」と呼ばれて再び騒がれ、日御碕検校の触書も効き目は続かなかった。三年前に妻の実家の嫡子権右衛門が病死すると、外道のしわざだとされ、万蔵は親類からも村からも縁を切られてしまった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本の憑きもの――俗信は今も生きている(石塚尊俊・石塚尊俊・民俗学・昭和(民俗調査))
民俗学者・石塚尊俊『日本の憑きもの―俗信は今も生きている』。日本各地の憑きもの俗信を実地調査と文献で体系化した研究の決定版。