妻子を離別した上宿の縁切り榎
どんな伝承か
板橋の石神井川に架かる橋を渡ると、宿場時代に上宿と呼ばれた本町に入り、その中ほどに縁切り榎が立つ。伝えによれば、元禄のころ伊勢から江戸へ出て油屋として身を立てた小林身禄が、六十になった年、かねて信仰する富士浅間のため北の登山道を開こうと家を出た。妻と三人の娘が追いすがって泣いたが、身禄は来世の善果を得るには現世の悪縁を断たねばならないと言い、妻子を離別した。その場がこの榎の下だったので縁切り榎の名が生まれ、近くには追ん出し川や涙橋といった地名も残ったという。皇女和宮が降嫁の折にここを通ったときは、榎に薦を巻いて隠したと伝わる。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
東京今と昔-板橋周辺と縁切り榎(自警・1973年5月)
本号は東京都板橋区周辺の歴史的背景と民間信仰を紹介する記事であり、特に「縁切り榎」に焦点を当てている。江戸時代の油商人・小林身禄が富士山信仰に基づき家を出た際の妻子離別の地とされるこの榎は、女性が離別の手段に限定されていた時代に、榎の皮を飲ませると縁が切れるという俗信の対象となった。皇女和宮の将軍降嫁時に隠されるほどの信仰を集め、現代でも参拝客が訪れ続ける実在の信仰スポットである。