縁切り榎の神官が語る由来
どんな伝承か
板橋を訪れた渾沌居士は、注連縄を張り絵馬を掛けた枯れ榎を見かけ、車夫から名高い縁切り榎だと聞いた。奥の家を訪ねると入口に第六天神社の標札があり、榎神社の神官岡野周吉が由来を語った。この地は大昔は入海で、日本武尊が橘姫と別れて上陸し、吾妻恋しいと嘆いた折に榎が生えたので縁切り榎と呼ぶという。のちに弘法大師が第六天を祀り、弥勒菩薩も富士へ登る前にここで妻子と別れたと伝わる。榎は鮫の皮で削って粉にし、縁を切りたい両人か片方に飲ませる。井戸水に入れてもよい。和宮の下向のときはこの前を避けて新しい道が付けられ、婚礼の行列も通らない。長崎や函館からも人が訪れ、一日に二、三十人が榎をもらいに来るという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
名家談叢(明治時代)
本書は東京都板橋に存在した「縁切り榎」に関する民間信仰の記録である。日本武尊と橘姫の別離伝説に由来するこの榎は、江戸時代から昭和時代にかけて悪縁を切り良縁を結ぶ霊験あらたかな聖地として機能していた。神官岡野周吉の証言によれば、全国から参詣者が訪れ、榎を鮫の皮で削った粉末を用いた厳格な儀式が行われていた。