妻子と別れた身禄と板橋の大榎
どんな伝承か
富士講中興の祖と仰がれた食行身禄は、元禄年間に伊勢で生まれ、十三で志を立てて江戸へ下り、本郷で油を商って栄え、妻きんとの間に三人の娘をもうけた。だが富士浅間の行者に深く帰依した身禄は、北口の登拝路を開いてそこで入定しようと、享保十八年の夏に家業も家族も捨てて江戸を発つ。追いすがる妻子と最後の別れをしたのが板橋宿の大榎の前で、妻子との縁を断った木ゆえに縁切り榎と呼ばれるようになったと伝わる。妻子を残して登った坂はいやの坂、かたわらを流れる用水はおん出し川、そこに渡した小橋は涙橋と呼び習わされたという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
西郊民俗 縁切り榎(西郊民俗シリーズ・昭和中期~後期(推定1960年代~1970年代))
本書は東京都板橋区に存在した縁切り榎を中心とした江戸時代から現代に続く民間信仰の全容を描いた民俗学文献である。縁切り榎は旧中山道板橋宿の樹齢古い榎の木で、「縁つきいやの坂」という語呂合わせと、富士講中興の祖食行身禄が妻子との縁を切った場所という伝説により、男女の悪縁を断つ霊験があるとされた。樹皮の粉末を別れたい相手に飲ませるまじないが実践され、絵馬奉納も行われた。皇女の婚礼行列もこの地を避けて通行した。