面屋嘉兵衛の病と小祠のたたり
どんな伝承か
隠岐宇賀村(現・西ノ島町宇賀)の万蔵の訴状によれば、面屋嘉兵衛が病気になり、流人坊主の觀玉に占ってもらうと、『嘉兵衛の病気は万蔵方の小祠の祟りである。だがこの祟りは当地では駄目で、京都で祈禱してもらうほかない』と告げられた。万蔵の父利平太は致し方なく京都へ上り、社寺を問い合わせたところ、伏見の御社に願をかけるがよいと言われて立願すると、『家に建てた小祠を流し捨てよ』との御託宣があった。利平太は七日間の滞在を終えて帰国し、万蔵方の小祠を海に流した。二、三年は無事だったが、またも世間で万蔵宅には狐が憑いているなどと取り沙汰されるようになったという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
つきもの持ち迷信の歴史的考察――狐持ちの家に生れて(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・昭和(1953頃))
速水保孝『つきもの持ち迷信の歴史的考察―狐持ちの家に生れて』(柳田國男序)。自ら狐持ちの家に生まれた著者が、つきもの持ち迷信による差別・人権侵害を内側から告発し、その類別と歴史的背景を考察する。