久武内蔵助の子を襲う怨霊
どんな伝承か
八人が死んだのち、親実の小高坂の邸や木塚村の墓所には怪しい火が燃え、弾丸のような火の玉が飛んで、当たった者は即死したり病んだりした。その頃、久武内蔵助の邸では末の男の子が庭で遊んでいると、松の傍から五十余りの白髪の老女が現れ、若様と呼んで肩に手を掛けた。子は大声で泣き、そのまま仰向けに倒れて病みついた。僧を招いて祈禱させると、子は起きあがって「悪人を生け置いてたまるか」と叫びながら座敷を走り回り、明け方に倒れて死んだ。七日目の晩には十二三の総領が腹に短刀を突き立て、検使が来て詰腹を切らされたと言い残して息絶えた。妻もその夜のうちに自殺し、八人あった子は皆その後で変死して、末子ひとりが内蔵助と日向へ逃れた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本の怪談(田中貢太郎・河出文庫・明治~大正時代(編纂・出版は20世紀前半推定))
宝蔵の短刀=怨霊と祟り(日本の怪談)/幽霊の自筆・船頭の霊/義人の姿と因果応報/土佐・各地の怪異/田中貢太郎の怪談