銀座通りの無人境とマッチを貸した亡霊
どんな伝承か
初夏の午後二時ごろ、松井忠吉は白靴に白ズボンという軽装で銀座を歩いていた。資生堂で珈琲を飲み、通りへ出て煙草をくわえたが、火が無い。舌打ちしていると人ごみの中から岡田に肩を叩かれ、燐寸を借りる。岡田は袂で風よけを作って火を点けさせ、会釈すると人波へ消えた。呼び止めても姿はない。ふと気づくと通りから人も自転車も自動車も電車も失せ、一町ほどが誰もいない別世界になっている。線路のあたりから旋風が起こり、赤と白の宣伝ビラが空へ舞い上がった。そのとき忠吉は、岡田の通夜にも葬式にも出た身だと思い出す。手の煙草に火はついておらず、我に返ると往来はいつもの銀座通りだった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
妖奇怪談集(山門王吉・昭和初期(昭和11年前後))
山門王吉による『妖奇怪談集』は、明治初年から昭和初期にかけて日本各地で報告された超自然現象と心霊現象を記録した怪談集である。本書は単なる創作ではなく、実話や伝聞に基づいた報告として編纂されている。便所の霊、消えた女、生霊の憑依、棺桶の浮遊、死者との遭遇など、多様な現象が描かれる。特に強調されるのは、女性の死(身投げ・轢死・虐待死)に伴う怨念と執念である。