三月まで続いた生野銀山町の騒ぎ
どんな伝承か
但馬の南端にあたる朝来郡の生野銀山町では、十二月二十六日からお祓が降り始めた。北播磨から波及したものと推定されている。年を越してもなお札は降り続け、やがて踊りをともなうようになった。騒ぎは一月の下旬から三月三日まで続き、最終的に収まったのは三月の下旬のことである。鉱山町でのこの長い騒ぎは、但馬・播磨・丹後の一帯がええじゃないかの終焉の地域であったことを示す例の一つに数えられている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか(高木俊輔・1970年代~1980年代(推定))
本書は幕末維新期の慶応3~4年(1867~1868年)に東海地方から四国地方にかけて流行した「ええじゃないか」という民衆運動を詳細に記録した研究書である。神社仏閣の札が降下する「お札降り」現象を契機として、老若男女が「ええじゃないか」と囃しながら踊り狂い、祝宴を催す集団心理現象が急速に波及した。