船町の作り物と姫路藩の警戒
どんな伝承か
播磨で最初に騒ぎが起きたのは明石で、十一月の末のことだった。船町中ノ組が宇治橋、船町南ノ組が天の岩戸といった作り物を繰り出し、町方は熱狂に包まれた。村方でも十二月十日ごろには二見町のあたりまで踊りが及んでいる。これを見た姫路藩は、自領へ波及するのを防ごうとして、目付などを村々に廻らせ、警戒にあたらせた。
原典より
播磨地方では、まず明石で十一月末に騒ぎとなり、船町中ノ組の「宇治橋」、船町南ノ組の「天の岩戸」などの作り物が出て、町方は熱狂した(『明石市史』上巻)。—— ええじゃないか(高木俊輔・1970年代~1980年代(推定)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか(高木俊輔・1970年代~1980年代(推定))
本書は幕末維新期の慶応3~4年(1867~1868年)に東海地方から四国地方にかけて流行した「ええじゃないか」という民衆運動を詳細に記録した研究書である。神社仏閣の札が降下する「お札降り」現象を契機として、老若男女が「ええじゃないか」と囃しながら踊り狂い、祝宴を催す集団心理現象が急速に波及した。