大高坂の評定と八人みさきの起り
どんな伝承か
天正十六年十月四日、岡豊から大高坂へ移ったばかりで城普請の最中であった長宗我部元親は、城中に一族老臣を集めて家督相続の評定を開いた。戦死した長男信親の娘を四男盛親に娶せて世嗣にしようという、順序も人倫も外れた縁組であった。皆が憚って黙る中、元親の甥婿で当時蓮池にいた吉良左京之進親実が孫次郎を立てるべきだと諫め、同族の比江山親興も同意した。家老の久武内蔵助親信はこれを駁したが、親信はかつて仁淀川の磧で親実に矢を射かけられた怨みを抱いていた。元親は不快な顔で座を立った。高知市の南に当たる海岸に生まれた著者は、少年の頃から七人御先の話を聞かされて育ったが、その伝説はこの八人御先の因縁から始まるという。
原典より
「七人御先」高知市の南に当る海岸に生れた私は、少年の比、よくこの御先の話を耳にした。—— 日本の怪談(田中貢太郎・河出文庫・明治~大正時代(編纂・出版は20世紀前半推定)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
日本の怪談(田中貢太郎・河出文庫・明治~大正時代(編纂・出版は20世紀前半推定))
宝蔵の短刀=怨霊と祟り(日本の怪談)/幽霊の自筆・船頭の霊/義人の姿と因果応報/土佐・各地の怪異/田中貢太郎の怪談