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御岳教管長の諭し

所在地京都府京都市伏見区
年代1908年(明治41)ごろ
登場神宮暠寿、王仁三郎、御岳教管長
出典出口王仁三郎

どんな伝承か

神職の資格を得て建勲神社の主典となった王仁三郎は、信者の家を回って説教を続けたため官幣社の尊厳を傷つけると宮司に叱責され、十二月にその職を辞して伏見稲荷山の御岳教西部教庁の主事に転じた。御岳教は説教上手と病気なおしの実績を買って王仁三郎を幹部に招き、王仁三郎は中教正、翌年三月には大阪大教会長となった。教団経営者として頭角をあらわした王仁三郎に、管長の神宮暠寿は一夜、神前に呼び、君は天理教における中山新治郎の地位にある者なれば、帰りてナオを困窮より救うべしと諭したという。

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※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません

出典の文献について

出口王仁三郎(村上重良・村上重良・近代民衆宗教史・現代(評伝)/明治〜昭和(対象))

村上重良による出口王仁三郎(1871-1948)の客観的評伝。京都・亀岡の貧農の子・上田喜三郎は、祖父の霊の守護や金神の祟りといった霊異の中で育ち、明治31年の高熊山修業で神人感合に達して宗教者へ転身。長沢雄楯(本田親徳の系統)から鎮魂帰神を相承し、綾部で艮の金神の神がかりにより大本を開いた出口ナオと出会って両教祖の経緯(たてよこ)の仕組みを成す。

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