七代目の偉人と告げた祖父の遺言
どんな伝承か
王仁三郎が生まれた年の暮れ、祖父の吉松が世を去った。吉松は死の間際、孫の喜三郎と両親を枕もとへ呼び、上田の家には七代ごとに偉い人物が現れる、円山応挙は五代前の先祖であり、喜三郎はその七代目に当たるのだから必ず天下に名を挙げるだろう、自分は死んだあとも霊魂となって孫の行く末を守ってやる——と言い残したという。博打好きで奇抜な辞世を残した人物には似合わぬ遺言だったが、喜三郎は何かにつけて祖母のうのからこの言葉を聞かされて育った。顔立ちが祖父にそっくりだったことから、家の者は生まれ変わりに違いないと信じ、名にも松の字をつけたという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
出口王仁三郎(村上重良・村上重良・近代民衆宗教史・現代(評伝)/明治〜昭和(対象))
村上重良による出口王仁三郎(1871-1948)の客観的評伝。京都・亀岡の貧農の子・上田喜三郎は、祖父の霊の守護や金神の祟りといった霊異の中で育ち、明治31年の高熊山修業で神人感合に達して宗教者へ転身。長沢雄楯(本田親徳の系統)から鎮魂帰神を相承し、綾部で艮の金神の神がかりにより大本を開いた出口ナオと出会って両教祖の経緯(たてよこ)の仕組みを成す。