平将門の首を弔う膏薬図子
どんな伝承か
天慶の乱を起こした平将門は、九四〇年(天慶三年)二月、俵藤太秀郷によって首をはねられたことになっている。その首は京都へ持ち帰られてさらされたのち、下京区四条の西洞院に埋められたといわれる。しかし京の人々は、反逆者である将門の首が埋められたことをたいへん嫌った。それを知った名僧空也上人は供養道場を建て、将門の霊を弔ったという。おもしろいことに、いつしかこの「供養道場」がなまって「膏薬図子」となり、お堂のある小路をいまも「膏薬の図子」と呼ぶようになったそうである。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
心霊大全(中岡俊哉・1970年代~1980年代)
奇怪なお菊人形(心霊大全)/心霊写真と自殺者の霊/北海道の怪奇現象/憑依と祟り/中岡俊哉の心霊蒐集