田中屋喜十が狐持ちに指定される
どんな伝承か
田中屋喜十は宮前新田の開発を成功させ、天明三年には松江藩から木綿市の開設と木綿取引一切を田中屋名義で行う独占権を与えられ、庄屋として村の政治的支配権も握った。文化二年には田中屋を通さぬ木綿取引を禁じる触書まで出させている。ところが文化六年十二月、後ろ盾の木次屋こと木村弥三左衛門直安が大阪へ立ち退いて没落すると、喜十は家督を子の宇十郎に譲って隠居した。積年の反感を抱いた土着農民は、当時流行していた狐持ちの汚名を田中屋に与えて村八分にし、田中屋系図にも「悪人輩のため無実の虚妄説にかかる」と記された。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
憑きもの持ち迷信――その歴史的考察(改訂版)(速水保孝・速水保孝・憑きもの研究・昭和(改訂版))
速水保孝『憑きもの持ち迷信―その歴史的考察』の改訂版。自ら狐持ちの家に生まれた著者が、つきもの持ち迷信による差別を内側から告発し、その歴史的基盤を考察する。序章で研究に志した動機・問題の核心・結婚に直面しての苦悩を語り、人権を脅かす実例として狐持ちにまつわる隔地心中、次々と破談になる三兄妹、隠岐の人狐解消決議、犬神が乳児を食ったと絶交、堆肥小屋に外道を飼うを挙げる。