同業者や医学界からの批判が相次ぐ中
どんな伝承か
太霊道を唱えた田中守平は、同業者の松本道別・清水芳洲、医学界の森田正馬らからの批判が相次ぐなか、昭和三年十二月十四日、名古屋逓信局で面談中に突然循環器障害の発作で倒れた。そのまま回復せず、十七日に四十六歳で帰幽した。戦後、村長ら有志によって生地の跡地に顕彰碑が建てられている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
霊術家の饗宴(井村宏次・井村宏次・霊術研究・現代(著述))
井村宏次『霊術家の饗宴』。明治末から昭和初期にかけて隆盛し、抹消された〈霊術家運動〉の歴史を発掘・復元する。プロローグで霊術家の運命を予告し、第一章では気合術師・浜口熊嶽が帝都に乗り込み九字と気合の嵐で名を上げ、明治の心霊手術を行い、実川上人のもと那智滝で仙人修行・三密の極意を得て、大阪の『真言秘密』裁判で判官臨席の気合術実験により勝利するまでを描く。