王西村・多治郎屋敷の外宮御祓
どんな伝承か
慶応三年七月十四日の七つ時分、上牟呂村のうち王西村の多治郎の屋敷で、東の竹垣際の笹に伊勢外宮の御祓が降っているのを、通りかかった王海津村の者が見つけた。その者も、次に通った子どもも何もしなかった。続いて通った源三郎屋敷の富吉がこれを組頭の富蔵に届けたが、富蔵は源三郎が穢中だからと清治郎方へ持って行かせた。ところが御祓には御師内山八郎太夫の名が書かれていたため、清治郎も富吉もひどく疑った。その夜、富吉の八歳になる男の子が病気でもないのに急死した。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか始まる(田村貞雄・現代(歴史研究))
歴史学者・田村貞雄による、1867年(慶応3)の民衆運動『ええじゃないか』の起源を三河地方の御札降りから検証した歴史研究『ええじゃないか始まる』。伊勢神宮などの御札(御祓)が空から降る『御札降り』を発端とするこの運動の最初期を、従来説より早い7月中旬の牟呂村(豊橋)に特定。神職の記録『留記』を分析し、慶応3年7月14日大西村での御札降り、子と妻の死、宮司森田光尋による『二夜三日正月』の決定と開始、各地への祭礼の波及を辿る。