ええじゃないか - 羽田村のお札降り
どんな伝承か
慶応三年七月、東海道吉田宿周辺では「ええじゃないか」の発端となるお札降りが相次いだ。牟呂村に隣接する羽田村では七月二十二日、西羽田村(羽田村の小村)の次郎兵衛の前屋敷に伊勢の御祓が降ったと村役人に届け出があった。羽田八幡宮の神官羽田野敬雄はこれを『萬歳書留控』に書きとめている。折しも羽田八幡宮の東宮に伊雑宮を勧請してから百年にあたり、その百年祭を準備していたところだったので、御鍬といっしょに祀ることに決めた。二十三日には西羽田と百度の若者と子どもが、お札を住吉踊りで送ってきた。翌二十四日にはその札を羽田八幡宮の廊下に飾って夜中に神事を行ない、そのあと広庭で神酒や甘酒が人びとに振舞われた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
愛知民衆運動の歴史 新版(平成期(推定))
本書は1867年(慶応三年)の愛知県を中心とした「ええじゃないか」民衆運動におけるお札降り現象を、時間的・地理的に体系的に記録した歴史資料である。豊橋市牟呂村での最初の事例から始まり、名古屋城下での大規模な騒動を経て、北方地域および江南地域への波及まで、段階的な拡大プロセスを追跡している。各地で伊勢神宮や秋葉大権現などのお札が降下し、民衆は祭礼や踊りで応答。