牟呂の神異――牟呂村の御札降り
どんな伝承か
慶応三年七月、三河国渥美郡の牟呂村で御札降りが起こった。牟呂村は上牟呂・中牟呂・下牟呂の三組から成る。七月十四日の七つ時分、上牟呂村の一部である王西村(大西村)の多治郎の屋敷の東竹垣際の笹の裏に、伊勢外宮の御祓が降っているのを通りかかった者が見つけたのが始まりである。以後、中村の普仙寺の寺内や王西村の天王社にも御祓が降り、村人は神の意思と結論した。この一連の出来事を牟呂八幡宮の宮司森田光尋が「留記」に「牟呂之神異」として書き留めており、これが「ええじゃないか」の発端となった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか始まる(田村貞雄・現代(歴史研究))
歴史学者・田村貞雄による、1867年(慶応3)の民衆運動『ええじゃないか』の起源を三河地方の御札降りから検証した歴史研究『ええじゃないか始まる』。伊勢神宮などの御札(御祓)が空から降る『御札降り』を発端とするこの運動の最初期を、従来説より早い7月中旬の牟呂村(豊橋)に特定。神職の記録『留記』を分析し、慶応3年7月14日大西村での御札降り、子と妻の死、宮司森田光尋による『二夜三日正月』の決定と開始、各地への祭礼の波及を辿る。