文政御蔭参りの伝承
どんな伝承か
牟呂八幡宮の宮司森田光尋が残した「留記」には、父讃岐守光義の代にあたる文政十三年の御蔭参りが書き留められている。その年、牟呂村では日照りが続いて雨乞いが行われていたところ、諸国で御札降りが起こり御蔭参りが始まった。牟呂でも中牟呂村外神村の真福寺に御祓が降ったが、寺内への降臨だとして村方には渡されなかった。若者たちが雨乞いに参籠し、ようやく大雨となった翌朝、天王社の前の杉の木に伊勢内宮の御祓が降っていた。大雨だったのに少しも濡れていなかったという。御祓は行列を組んで八幡宮へ移され、光尋は六歳でこれを見ている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか始まる(田村貞雄・現代(歴史研究))
歴史学者・田村貞雄による、1867年(慶応3)の民衆運動『ええじゃないか』の起源を三河地方の御札降りから検証した歴史研究『ええじゃないか始まる』。伊勢神宮などの御札(御祓)が空から降る『御札降り』を発端とするこの運動の最初期を、従来説より早い7月中旬の牟呂村(豊橋)に特定。神職の記録『留記』を分析し、慶応3年7月14日大西村での御札降り、子と妻の死、宮司森田光尋による『二夜三日正月』の決定と開始、各地への祭礼の波及を辿る。