深夜の来訪者
どんな伝承か
紀州は熊野灘、その中央部に面した海岸線に長島町という漁村がある。熊野もうでで賑わった熊野や新宮にくらべ、長島は古来より漁場として有名な長島浦にひらけた村落にすぎなかった。紀勢街道の中間、リアス式海岸のおれこみの一つにあるこの陸の孤島にひとしい村で、長松を父、てつを母として、熊蔵、のちの熊嶽は明治一一年一二月二日に生をうけた。夜泣きがやかましいばかりで、どこといって特徴のない赤ん坊であったという。八歳で長島尋常小学校に入るや阿呆熊、鼻熊などと渾名され、いろはの「い」も覚えぬ有様に、ついに退校を宣言された。十一歳の冬に放校となって網曳小僧を志願したころから、不思議なことが起こりはじめる。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
霊術家の饗宴(井村宏次・井村宏次・霊術研究・現代(著述))
井村宏次『霊術家の饗宴』。明治末から昭和初期にかけて隆盛し、抹消された〈霊術家運動〉の歴史を発掘・復元する。プロローグで霊術家の運命を予告し、第一章では気合術師・浜口熊嶽が帝都に乗り込み九字と気合の嵐で名を上げ、明治の心霊手術を行い、実川上人のもと那智滝で仙人修行・三密の極意を得て、大阪の『真言秘密』裁判で判官臨席の気合術実験により勝利するまでを描く。