聖者の条件
どんな伝承か
紀伊長島で得た情報によると、熊嶽は生涯に四度の正式な結婚をしたが子宝には恵まれず、成人に達したのは稔という男の子ひとりだけであった。その稔が著者の住む大阪のすぐ近くに存命だとわかり、調査のうえインタビューに出かけた。年齢は六十二歳である。昭和のはじめに真珠王の御木本幸吉、政治家の尾崎行雄と並んで三重県の三傑の一人といわれながら、気合術師という特殊な職分ゆえに新聞の集中攻撃と迷信撲滅運動家の罵詈雑言を浴び、死とともに忘れ去られた浜口熊嶽。稔は、あの方は強い人だ、人のことなど何とも思わず生きたいように生きた、気合をかけられた方は怯えて息もとまるほどだったと語った。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
霊術家の饗宴(井村宏次・井村宏次・霊術研究・現代(著述))
井村宏次『霊術家の饗宴』。明治末から昭和初期にかけて隆盛し、抹消された〈霊術家運動〉の歴史を発掘・復元する。プロローグで霊術家の運命を予告し、第一章では気合術師・浜口熊嶽が帝都に乗り込み九字と気合の嵐で名を上げ、明治の心霊手術を行い、実川上人のもと那智滝で仙人修行・三密の極意を得て、大阪の『真言秘密』裁判で判官臨席の気合術実験により勝利するまでを描く。