網曳小僧となった熊蔵が独り言を経のように唱えると大漁になると…
どんな伝承か
紀州熊野灘に面した長島浦の漁師町で、熊蔵(のちの浜口熊嶽)は明治一一年一二月二日、父長松・母てつのもとに生まれた。いつもぼんやりと時を過ごす子で、八歳で長島尋常小学校に入るや阿呆熊などと渾名され、いろはの「い」も覚えられず退校を宣告された。放校になったのは十一歳の冬で、以来、網曳小僧を志願する。このころから独り言をいう癖が昂じ、いつのまにか経のように高低をつけて唱えるようになり、その勢いが強い日は大漁だという評判が立って、漁師たちが漁の首尾を聞きに来るようになった。十三歳の春には両手をからませる「印」の所作が加わり、やがて沖の溺死者の遺体を透視したり予言的な能力が現れて、阿呆熊は一躍神童ともてはやされた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
霊術家の饗宴(井村宏次・井村宏次・霊術研究・現代(著述))
井村宏次『霊術家の饗宴』。明治末から昭和初期にかけて隆盛し、抹消された〈霊術家運動〉の歴史を発掘・復元する。プロローグで霊術家の運命を予告し、第一章では気合術師・浜口熊嶽が帝都に乗り込み九字と気合の嵐で名を上げ、明治の心霊手術を行い、実川上人のもと那智滝で仙人修行・三密の極意を得て、大阪の『真言秘密』裁判で判官臨席の気合術実験により勝利するまでを描く。