山本文之助の墓へ続いた残念さん参り
どんな伝承か
禁門の変に敗れた長州藩の一兵卒山本文之助は、国もとへ逃げ帰る途中、尼崎大物町の北ノ口御門で藩兵に捕らえられ、その日のうちに番兵の隙を突いて自ら命を絶った。翌慶応元年の二月から、この山本の墓へ参る者が急に増えていく。尼崎藩はしばらく「おかげ参り」同様に手を出さず眺めていたが、あまりに人が集まるので墓石のまわりに垣を結い、その外から拝ませるようにした。五月十五日には船を仕立てたり道を回ったりして訪れる者が相次ぎ、すさまじい賑わいになったという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか(高木俊輔・1970年代~1980年代(推定))
本書は幕末維新期の慶応3~4年(1867~1868年)に東海地方から四国地方にかけて流行した「ええじゃないか」という民衆運動を詳細に記録した研究書である。神社仏閣の札が降下する「お札降り」現象を契機として、老若男女が「ええじゃないか」と囃しながら踊り狂い、祝宴を催す集団心理現象が急速に波及した。