ええじゃないか渦中の在中教諭
どんな伝承か
慶応三年(一八六七)九月、「ええじゃないか」の騒ぎのさなか、三河吉田藩領内の各村で「在中教諭」が行われた。担当したのは山本忠佐(謙斎)で、「教諭日記」によれば昼二回、夜二回講義した日もあり、合計四五八〇名が聴講したという。内容は『孝経』や『前訓』の講釈、徳川家康の事蹟を説く「神君之御事」で、御札降りや助郷騒動で乱れた農民の心を日常生活へと引き戻し、村落秩序を再建する狙いがあった。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか始まる(田村貞雄・現代(歴史研究))
歴史学者・田村貞雄による、1867年(慶応3)の民衆運動『ええじゃないか』の起源を三河地方の御札降りから検証した歴史研究『ええじゃないか始まる』。伊勢神宮などの御札(御祓)が空から降る『御札降り』を発端とするこの運動の最初期を、従来説より早い7月中旬の牟呂村(豊橋)に特定。神職の記録『留記』を分析し、慶応3年7月14日大西村での御札降り、子と妻の死、宮司森田光尋による『二夜三日正月』の決定と開始、各地への祭礼の波及を辿る。