長州を囃した東播磨の稲荷踊り
どんな伝承か
慶応元年の五月、東播磨の村々で「稲荷踊り」あるいは「長勝踊り」と呼ぶ踊りが流行した。男も女も思い思いの扮装をして村から村へ踊り歩き、間の手には「長州負けるなよ、エライヤッチャ」と入れたという。起こりは美嚢郡の三木町らしく、そこから加東郡・多可郡へ、さらに篠山藩領の多紀郡今田組にまで及んだため、篠山藩は乱妨がましいとして禁令を出した。丹後の算所村の庄屋西村利左衛門は、この踊りが明石から姫路、そして丹波路へ伝わったと書き残している。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか(高木俊輔・1970年代~1980年代(推定))
本書は幕末維新期の慶応3~4年(1867~1868年)に東海地方から四国地方にかけて流行した「ええじゃないか」という民衆運動を詳細に記録した研究書である。神社仏閣の札が降下する「お札降り」現象を契機として、老若男女が「ええじゃないか」と囃しながら踊り狂い、祝宴を催す集団心理現象が急速に波及した。