桜塚村のお札降り
どんな伝承か
慶応三年の冬、お札降りの騒ぎは桜塚村にも及んだ。十二月一日、清兵衛の家の庭先に立つ椿の枝に、天満宮のお札が降りてきた。続いて八日の朝には庄屋庄兵衛の家の窓に天照皇太神宮のお札があり、さらに十八日には重兵衛の家の門先にも同じ天照皇太神宮のお札が降ったという。このころ札の降った家には近所から供物が届けられ、音頭を歌う群衆が押しかけてもてなしを求めたとされる。
原典より
桜塚村では、十二日朔日、清兵衛の庭先の椿の枝に天満宮のお札が、同八日朝には庄屋庄兵衛宅の窓に天照皇太神宮のお札が、さらに同十八日にも重兵衛の門先に同じく天照皇太神宮のお札が降った。—— 豊中市史 本編 第2巻(豊中市史) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
豊中市史 本編 第2巻(豊中市史)
『豊中市史 本編 第2巻』は、豊中市の市史本編の一冊で、ここにはその近世の民衆の動きを記した数頁を収める。天保元年(一八三〇)のお蔭参りとお蔭踊り、慶応三年(一八六七)秋からのお札降りが豊嶋郡の村々に広がった様子を、刀根山村や熊野田村の記録によって述べ、盲人が喜捨を求めて村々を回った事件にも触れる。刀根山村へのお蔭参りの押しかけを日付・村・人数ごとにまとめた第60表を挟む。