お墨付と称した盲人の喜捨要求
どんな伝承か
天保十五年の七月から八月にかけ、豊嶋と川辺の両郡一円で騒ぎが起きた。近衛領伊丹堺町の盲人が中心となり、お墨付と称して村々を回っては、村高に応じた喜捨を求めたのである。七月には豊嶋郡四十二か村と川辺郡九十一か村が連合し、大阪町奉行所へ急ぎ訴え出た。取り調べに対し、池田村の庄屋は村内で相談のうえ銀六百目を渡したが乱暴はなかったと答え、南川辺郡の惣代は、断れば村ごとに暴れそうな気配だったので仕方なく出したと述べている。八月には村々の惣代が、村出身の盲人はその村で養うべきだと歎願した。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
豊中市史 本編 第2巻(豊中市史・昭和中期(推定))
本書は豊中市史第2巻で、江戸後期から幕末にかけて豊嶋郡・川辺郡で発生した二つの大規模な民衆運動「お蔭参り」と「お札降り」を詳述している。天保期の伊勢神宮参拝ブームに伴う「お蔭踊り」の蔓延から、幕末の「ええじゃないか」運動まで、集団狂乱現象が社会秩序をいかに麻痺させたかを記録している。両事件とも豪商・庄屋に対する集団的な施しの強要という形態を取り、反幕派の政治的背景も指摘される。