熊野田村に降った池鯉鮒の御守
どんな伝承か
慶応三年の暮れ、東海地方から広がったお札降りが摂津の村々にも及んだ。熊野田村では十二月四日に始まり、小寺八兵衛の家には冬のうちに二度、年が明けた正月十八日にも札が降った。村内で札の降った家は十八軒を数える。負田家には正月十六日の午の刻に池鯉鮒大明神の御守が、翌十七日の卯の刻には天照太神宮の札が天から降ったという。新稲村から百五十人が押しかけると、熊野田村は三方荒神の馬一匹と幟を立て、五十人で桜村まで迎えに出て、村じゅうで四百人が狂ったように舞った。負田家はこのために正味四貫余りの入用を費やしている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
豊中市史 本編 第2巻(豊中市史・昭和中期(推定))
本書は豊中市史第2巻で、江戸後期から幕末にかけて豊嶋郡・川辺郡で発生した二つの大規模な民衆運動「お蔭参り」と「お札降り」を詳述している。天保期の伊勢神宮参拝ブームに伴う「お蔭踊り」の蔓延から、幕末の「ええじゃないか」運動まで、集団狂乱現象が社会秩序をいかに麻痺させたかを記録している。両事件とも豪商・庄屋に対する集団的な施しの強要という形態を取り、反幕派の政治的背景も指摘される。