お札降り(ええじゃないか)
どんな伝承か
倒幕直前の慶応三年秋、東海地方から始まったというお札降りと、それに伴う「ええじゃないか」音頭が、世直しの意味を多分に持つ群衆デモとして全国へ広がった。札は町では豪商・質屋・米屋、農村では庄屋・在郷商人・豪農の家をしらみつぶしに降下し、近くの家々は供物を出して祝った。人々は異様な服装で音頭を歌いながら家々へ集団で押しかけ、施しやもてなしを強要した。桜塚村では朔日に清兵衛の庭先の椿の枝へ天満宮の札が、八日朝には庄屋庄兵衛宅の窓へ、十八日には重兵衛の門先へ天照皇太神宮の札が降った。阪神間、ことに大阪市中は狂乱の中心で、鴻池屋・平野屋・天王寺屋などの豪商にも札が降ったという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
豊中市史 本編 第2巻(豊中市史・昭和中期(推定))
本書は豊中市史第2巻で、江戸後期から幕末にかけて豊嶋郡・川辺郡で発生した二つの大規模な民衆運動「お蔭参り」と「お札降り」を詳述している。天保期の伊勢神宮参拝ブームに伴う「お蔭踊り」の蔓延から、幕末の「ええじゃないか」運動まで、集団狂乱現象が社会秩序をいかに麻痺させたかを記録している。両事件とも豪商・庄屋に対する集団的な施しの強要という形態を取り、反幕派の政治的背景も指摘される。