天保のお蔭参り狂乱
どんな伝承か
幕藩体制の厳しい取締と窮迫した生活のなかで、天保元年から翌二年にかけてお蔭参りの狂乱が起こった。人々は貧富を問わず伊勢神宮へ向けて出発し、旅費のない者には宿泊も食費も一切が施された。村の取締を無視して若者が勝手に旅立ったので「抜参り」ともいわれ、大阪町奉行所は禁圧したが効果がなかった。この年は近年にない豊作で、桜塚村では六人、南刀根山村では五七人が伊勢神宮へ参拝した。抜参りに呼応して村民の集団踊りが村から村へ広がり、阿波から始まったというお蔭踊りが猛烈な勢いで広まった。四月十一日から五月にかけ、南刀根山村だけで他村からの踊りが一四回も来て、うち庄屋甚兵衛宅に押しかけたのは九回を数えた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
豊中市史 本編 第2巻(豊中市史・昭和中期(推定))
本書は豊中市史第2巻で、江戸後期から幕末にかけて豊嶋郡・川辺郡で発生した二つの大規模な民衆運動「お蔭参り」と「お札降り」を詳述している。天保期の伊勢神宮参拝ブームに伴う「お蔭踊り」の蔓延から、幕末の「ええじゃないか」運動まで、集団狂乱現象が社会秩序をいかに麻痺させたかを記録している。両事件とも豪商・庄屋に対する集団的な施しの強要という形態を取り、反幕派の政治的背景も指摘される。