吉田宿助郷騒動
どんな伝承か
慶応三年三月、吉田宿で助郷騒動が勃発した。この時期どの村々でも村役人層は助郷をめぐる嘆願運動の先頭に立っていたが、助郷賃銭が二年たっても未払いのままであることへの不満はやがて村方騒動の様相を呈し、一般農民の怒りは村役人層へ向けられた。吉田宿助郷騒動は主として村役人層を攻撃の対象とし、家宅が打ち壊された。しかも幕藩権力は喧嘩両成敗の形で村役人たちをも罪人として扱った。かれらは村落支配者としての自己に不安を覚え、幕藩権力にも絶望せざるをえなかった。
原典より
* 助郷騒動の衝撃* 豊作の予兆* 「天下に人なし」* **VI 「ええじゃないか」への転化*** 吉田宿の御札降り* 西への波及――三河* 七日七夜の祭礼* 名古屋の新史料――「青窓紀聞…—— ええじゃないか始まる(田村貞雄・現代(歴史研究)) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか始まる(田村貞雄・現代(歴史研究))
歴史学者・田村貞雄による、1867年(慶応3)の民衆運動『ええじゃないか』の起源を三河地方の御札降りから検証した歴史研究『ええじゃないか始まる』。伊勢神宮などの御札(御祓)が空から降る『御札降り』を発端とするこの運動の最初期を、従来説より早い7月中旬の牟呂村(豊橋)に特定。神職の記録『留記』を分析し、慶応3年7月14日大西村での御札降り、子と妻の死、宮司森田光尋による『二夜三日正月』の決定と開始、各地への祭礼の波及を辿る。