下地村三蔵への千両脅迫
どんな伝承か
吉田宿助郷騒動で徒党の重立った者たちは、吉田宿船町の茶屋若竹屋清兵衛の家に集まって計画を練っていた。かれらは十年前に助郷惣代を勤めていた下地村の三蔵に対し、金一〇〇〇両を差し出せ、出さなければ村へ押しかけて打ちこわすぞと脅した。下地村の惣代たちも若竹屋へ呼び出されて同じことを申し入れられ、徒党が押しかけてはたいへんだと三蔵にその金を出すよう迫った。せっぱつまった三蔵は吉田藩へ訴えたが今日にいたるも音沙汰がないと、親類の赤坂宿百姓甚平が赤坂役所へ嘆願している。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか始まる(田村貞雄・現代(歴史研究))
歴史学者・田村貞雄による、1867年(慶応3)の民衆運動『ええじゃないか』の起源を三河地方の御札降りから検証した歴史研究『ええじゃないか始まる』。伊勢神宮などの御札(御祓)が空から降る『御札降り』を発端とするこの運動の最初期を、従来説より早い7月中旬の牟呂村(豊橋)に特定。神職の記録『留記』を分析し、慶応3年7月14日大西村での御札降り、子と妻の死、宮司森田光尋による『二夜三日正月』の決定と開始、各地への祭礼の波及を辿る。