吉田藩が触書で名指した七人の首謀者
どんな伝承か
一八六七年(慶応三)四月三日、吉田藩は触書を出し、打ちこわしの首謀者七人を捕らえたと公表した。瓜郷村では喜平、下五井村では喜三郎、小坂井村からは権四郎と祐右衛門の二人、ほかに篠束村からは藤左衛門、瀬木村からは平兵衛、平井村からは源六が名指しされている。惣代や同役も取り調べ中だから、下々が心得違いをせぬよう村役人から言い聞かせること、寺などで寄合を持つ動きがあればただちに届け出て人数を差し向け厳しく取り締まること、と藩は指示した。首謀者の名は別の史料では金助・吉三郎・重三などと食い違っており、記録は一定しない。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか始まる(田村貞雄・現代(歴史研究))
歴史学者・田村貞雄による、1867年(慶応3)の民衆運動『ええじゃないか』の起源を三河地方の御札降りから検証した歴史研究『ええじゃないか始まる』。伊勢神宮などの御札(御祓)が空から降る『御札降り』を発端とするこの運動の最初期を、従来説より早い7月中旬の牟呂村(豊橋)に特定。神職の記録『留記』を分析し、慶応3年7月14日大西村での御札降り、子と妻の死、宮司森田光尋による『二夜三日正月』の決定と開始、各地への祭礼の波及を辿る。