刈谷での穀物差し押さえ事件
どんな伝承か
慶応二年、刈谷の周辺では穀類の積み出しをめぐる騒動が相次いだ。四月には刈谷町の商人が尾州領今川村から小豆三俵を運ぶところを、知立宿の馬子雲助らが差し押さえた。五月には難渋の小前六〇人が集まり、他所へ移す穀物があるなら安く売ってほしいと要求した。同じ五月、刈谷町から吉良へ船積みされた米四俵を市原村の者が差し押さえ、七月下旬にも小山村の者の穀類四三俵を差し押さえて難渋者に安売りさせている。十二月には西境村の蔵米の船積みを多数が押しかけて妨げた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
ええじゃないか始まる(田村貞雄・現代(歴史研究))
歴史学者・田村貞雄による、1867年(慶応3)の民衆運動『ええじゃないか』の起源を三河地方の御札降りから検証した歴史研究『ええじゃないか始まる』。伊勢神宮などの御札(御祓)が空から降る『御札降り』を発端とするこの運動の最初期を、従来説より早い7月中旬の牟呂村(豊橋)に特定。神職の記録『留記』を分析し、慶応3年7月14日大西村での御札降り、子と妻の死、宮司森田光尋による『二夜三日正月』の決定と開始、各地への祭礼の波及を辿る。