軽井沢宿の打ちこわし
どんな伝承か
慶応二年(一八六六)八月十五日、幕府領の軽井沢宿で打ちこわしが起きた。同宿の奈良屋・京三度屋・三升屋の三軒が打ちこわされ、隣の借宿村でも布屋など三軒が襲われた。騒動を起こした一団は炊き出しを受けて腹ごしらえをし、追分宿へ向かった。宿方が抵抗しなかったため小田井境まで進んだが、御影陣屋から出兵していたため草越村へ回り、そこで二軒に打ちこわしをかけたのち、梨沢村で散り散りになったという。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
長野県史 通史編 第6巻(長野県史・昭和中期~後期(推定))
本書は慶応3年(1867年)7月から慶応4年(1868年)3月にかけて、信濃地方で発生した大規模な「お札降り」現象を記録した歴史文献である。三河渥美郡に始まった札降り現象は東海道沿いに伝播し、名古屋での流行を経て信濃各地に波及した。飯田、高遠、松本、諏訪などの城下町から農村部まで広範な地域で、神社のお札や御幣が降下したと報告され、各地で「豊年踊り」と称される大規模な祝祭が展開された。