松本へ引かれた赤須町の三人
どんな伝承か
慶応元年の閏五月、米価の高騰で騒ぎが起きた赤須・上穂の村々では、首謀者と目された吉五郎に出頭の命が下り、小前惣代と村役人が付き添うよう申し渡された。二十日には赤須町の紺庄と勝二郎、宿免の金助の三人も、企ての中心にいた疑いで松本の預役所へ引き立てられ、道中は内手錠をはめられていた。ところが沙汰は軽く、吉五郎は同月二十九日に村預けとなって戻された。十七日の大雨で赤須・上穂が大きな水害を受けて人手が要りようだったこと、村々から嘆願が続いたこと、打ちこわしにまでは至らなかったことが働いたとみられる。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
駒ケ根市誌 近世編 お札降り(駒ケ根市誌・近現代(市誌編纂時期))
本文は長野県飯田市周辺の伊那谷で慶応二~三年(1866~1867年)に発生した「お札降り」現象を記録した市誌編纂資料である。伊勢大神宮のお札が降ってくるという奇瑞現象として始まったこの事象は、やがて群衆的狂乱を引き起こし、「ヤッチョロ踊り」として組織化された宗教的かつ政治的な運動へと発展した。掛声「長土薩」は倒幕勢力(薩摩・長州・土佐)の隠喩と解釈され、単なる民間信仰現象ではなく幕末維新期の社会変動と深く結びついた群衆行動と考えられる。