銀松の家へお祓様降る
どんな伝承か
横山日記によれば、慶応三年十一月二十九日、当村の銀松の家へ御祓様が降り、市郎右衛門が祝いの客に呼ばれた。これに先立つ十一月十日には高鳥谷神社へ金御幣が降って東伊那五か村の祭典が執行され、市郎右衛門は参詣ののち村内の若者を集めて酒食を出し、ヤッチョロ踊りとなって夜七ッ時まで大騒ぎとなっている。十五日には羽場に御札が降って祝いに招かれた。このように市域では宿場町を中心に降札があり、お札は主に伊勢大神宮のものであったらしいが、高鳥谷神社へ降った金御幣がどこのものかは明らかでないという。市域におけるお札降りの騒動は、この十一月二十九日の記事を最後にして途絶えている。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
駒ケ根市誌 近世編 お札降り(駒ケ根市誌・近現代(市誌編纂時期))
本文は長野県飯田市周辺の伊那谷で慶応二~三年(1866~1867年)に発生した「お札降り」現象を記録した市誌編纂資料である。伊勢大神宮のお札が降ってくるという奇瑞現象として始まったこの事象は、やがて群衆的狂乱を引き起こし、「ヤッチョロ踊り」として組織化された宗教的かつ政治的な運動へと発展した。掛声「長土薩」は倒幕勢力(薩摩・長州・土佐)の隠喩と解釈され、単なる民間信仰現象ではなく幕末維新期の社会変動と深く結びついた群衆行動と考えられる。