嘉蔵宅に群衆おどり込む
どんな伝承か
慶応三年九月二十八日の夜、お札が降った祝いに、大沼嘉蔵の家ではおよそ三十人が集まって酒宴を開いていた。そこへ中政・大平をはじめとする北町の衆が三、四十人ほど、前触れもなく踊り込んできて、家じゅうが大騒ぎになった。その祝いの最中に御祓様がさらに二つ降り、御守も合わせると三つになって、嘉蔵はまことにありがたいことだと書き残した。踊り込まれた嘉蔵が迷惑がるどころか再びの降札を喜んでいたことから、この頃の熱狂はまだヤッチョロ踊りの形をとっておらず、奇瑞に触れた宗教的な陶酔にとどまっていたとされる。
原典より
大概はこんな状況であったが、嘉蔵も二十八日に酒宴を催したところ数十人が上がり込み大騒ぎになった。—— 駒ケ根市誌 近世編 お札降り(駒ケ根市誌) より引用地図で位置を見る
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
駒ケ根市誌 近世編 お札降り(駒ケ根市誌)
『駒ケ根市誌 近世編 お札降り』は、『駒ケ根市誌』近世編のうち、幕末の世情と「お札降りと民衆の狂乱」を記した一節である。慶応期の凶作と米価騰貴のなかで起きた吉五郎一件、松本平の打ちこわし、伊那谷の小作争議に続いて、慶応三年秋に赤須・上穂の宿場や村々へ伊勢大神宮の御祓などが降り、酒宴やヤッチョロ踊りの狂乱に広がったさまを述べる。上穂町の「大沼日記」と上穂村の「横山日記」を引いて日を追ってたどり、大政奉還から戊辰戦争へ向かう政局に結ぶ。