上穂村のヤッチョロ大祭
どんな伝承か
上穂村では慶応三年九月二十七日から降札がはじまり、十月五日まで降りつづいて祝祭がおこなわれた。十一月一日にも諸方へ降ったので、赤須・上穂の神社入社で大祭りが計画され、町役人が世話役となって御神酒十五本を用意した。同月十日からふたたび大騒ぎとなり、村方から男女が繰りだして、十一日にはその数が二百人を超え、上穂の町場で酒と赤飯の振る舞いを受けた。このころから人びとは「ヤッチョロ」とか「尾加芸 長土薩」とはやしたてるようになったという。降札は十二月一日までつづいた。
※伝承地の場所は必ずしも正確ではありません
出典の文献について
長野県史 通史編 第6巻(長野県史・昭和中期~後期(推定))
本書は慶応3年(1867年)7月から慶応4年(1868年)3月にかけて、信濃地方で発生した大規模な「お札降り」現象を記録した歴史文献である。三河渥美郡に始まった札降り現象は東海道沿いに伝播し、名古屋での流行を経て信濃各地に波及した。飯田、高遠、松本、諏訪などの城下町から農村部まで広範な地域で、神社のお札や御幣が降下したと報告され、各地で「豊年踊り」と称される大規模な祝祭が展開された。